JR江差線_思い出のページ

 

 

JR江差線_思い出のページ


 

JR江差線 思い出のページ

 

 

 檜山振興局では、平成26年5月12日に廃線(5月11日最終運行)になったJR北海道江差線(木古内~江差間)にまつわる、沿線住民や旅行者の思い出を、「JR江差線 想い出教えてキャンペーン」としてインターネット及び郵送により募集を行いました。

 約2ヶ月ほどの応募期間で、35名の方から作品が応募いただき、一部作品は新聞記事に掲載されるなど、最終運行の賑わいにも寄与しました。

 ここでは、応募いただいた全作品を広く公開し、多くの方に愛され惜しまれながら廃止された江差線の皆さんの思い出を記録していきます。

 廃線後に旧沿線地域を旅行で訪れる方が、江差線を通じて営まれてきた生活や鉄道在りし日の旅情などを知っていただくことで、少しでも地域の魅力が伝わることを願っています。

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江差駅

 

沿線生活での思い出・・・  (19件)

 

 7年前まで4年間江差で勤務をしており、江差の夕焼けの美しさに魅了されたものです。 私の友人も江差の夕焼けを写真に収めたく十勝からわざわざ、カメラを担いで江差線に乗って良く来たものです。 友人曰く「長い長い旅もまた良いものです・・・」今、江差を離れて、もっと早く江差線に乗っておくべきだったと後悔が残ります。  (モンキーさん/函館市・男性) 
 八雲から江差までバス路線があることを知らなかったので、JR江差線を使って引っ越してきました。 北海道職員になった日として、これからも心に残るであろう思い出です。 (新幹線乗りたいさん/江差町・男性)  

  私は昭和38年江差高等学校を卒業し、同年4月から、函館、北海道鉄道学園で教育を受け上ノ国駅に奉職いたしました。上ノ国駅(6年間)、江差駅(3年間)、湯ノ岱駅(4年間)、江差線には13年間勤務致しました。それ以降は、松前駅、五稜郭駅、久根別駅、七飯駅、桔梗駅、JR北海道函館支社をへて平成14年に退職しました。今は故郷の上ノ国で地域発展に微力ながらも頑張っております。

 その当時は、上ノ国駅発6時50分江差行きの気動車は3両編成でした。1両の定員は約80人でしたが、3両目の半車が郵便車、荷物車のため定員200人前後でありました。湯ノ岱、宮越、桂岡、中須田方面から高校生、通勤者、さらに冬期間(11月頃から3月まで)になると、夏場農作業に従事している若い女性が、江差の服装学院に通うために上ノ国駅から乗車するようになり気動車は定員一杯となり、イスに座って江差まで行ったことが一度も無かったような気が致します。客室に乗車できず荷物車、郵便車に乗車する人々も多く、決して珍しいことではありませんでした。  (上ノ国町・男性)

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江差町の江差線遠景

 わが家の想い出は現在進行中です、2歳になる息子は散歩に行くと列車を見たくて「ぽっぽ〜、ぽっぽ〜」と言ってます。毎日のように見に行ってますが毎回大喜びしています。 (ポッポ〜さん/江差町・男性)  
 2年前に転勤で江差町へ引っ越してきて以来、江差線のすぐそばで暮らしています。始発列車の音で目覚める朝。帰宅途中、江差駅裏の遊歩道で、タイミング良く列車の姿が見られると少し得した気分になる夕方。最終列車の音を聞いて1日の終わりを感じる夜。そんな日常がもうすぐ終わってしまうのですね。私の生活と共にある江差線と、最後まで定時運行を支えていらっしゃる多くの方々にあらためて感謝します。 (沿線住民さん/江差町・男性) 
 小学校5年生の時、父が江差駅に転勤し私は桂岡駅の官舎に住みました。桂岡駅は、小学校のときの1泊の旅行で洞爺湖へ行くとき乗った記憶があります。江差駅は、湯ノ岱のスキ-場へ行くため、スキ-と弁当を持って湯ノ岱によくいきました。東京に就職のため、江差駅から函館へ行き連絡線に乗って青森から寝台列車で上野まで行きました。そのころの江差駅には江差追分が流れていました。廃止残念、ありがとう心の駅江差線。  (はげおやじさん/江差町・男性) 

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上ノ国町・桂岡駅

 昭和46年、大学を卒業した私は、仕事の関係で函館から江差町に列車で赴任した。その後、縁あって江差の女性と交際することになり、当時車がなかったので、デートはもっぱら「江差線」を利用して函館、大沼方面に行ったものだ。それからしばらくして、結婚することになり、結婚式の写真撮影も「江差線」に乗って函館に行った記憶がある。その後、福島町に転勤になり、車の免許を取ってからはほとんど乗る機会がなくなった。5年前に定年になり今は函館に住んでいるが、5月11日の最後の列車には家内と二人で、青春時代の思い出多い「江差線」に乗る計画を立てている。  (江差線をこよなく愛する男さん/函館市・男性)  
 江差町には4年間住んでいましたが、震災後、江差線を利用して何度も東北を訪れたことが思い出されます。 週末にボランティア活動を終え、青函トンネルを抜けてきた特急から乗り継いだ最終の江差行きの乗客はまばら。さびしい車内は、いろんなことに思いをはせ、物思いにふけるには最高の場所でした。 現在、私は宮城県沿岸部の自治体で勤務しています。お別れの日には立ち会えませんが、「お疲れさん」と伝えたいと思います。  (宮城県・男性) 

 恋いそして別れの江差線

  江差線がなくなることは心から寂しい思いです。 さて、私が江差線の一番の想いでは、昭和42年4月にさかのぼります。小・中学生と体の弱かった私は高校への進学を断念し、昔で言う手に職をつけるため専門学校への道を選びました。中学校時代から仲のよかった彼女(初恋の人?)M・Kさんが私が札幌に旅発つとき江差駅まで見送りに来て、涙を流しながら一通の手紙と贈り物(人形)をもらいました。私は、彼女に返す言葉も見当たらないうちに発車のベルがなりました。窓を開け人目もはばからず大声で「祭りと正月は必ず帰ってくるから~~」と叫びました。彼女は、列車が遠ざかってもいつもでも江差駅のホームで手を振ってくれました。

 約束どおり三年間の手紙のやりとり、そして必ずや帰る姥神大神宮祭さらに何もない江差の冬(正月)、必ず彼女は江差駅まで迎え、送りをしてくれました。昭和45年4月道職員(檜山支庁)に採用決定、私が列車で戻って来たときはすでに彼女は東京方面に就職が決まり一足早く旅立ちました。せめて彼女が旅立つ前に私が戻って来られていたならば、今度は私が彼女を送ってあげられたと今でも心の片隅に残っています。

 三年間の手紙やりとり、江差駅での出迎え本当にありがとう。そんな彼女は、今はこの世にいなく天国で過ごしていることと思われます。 ありがとうM・Kさん、ありがとう江差線・江差駅。  (江差町・男性)  

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平成26年5月11日 最終運行日

 川柳

  ○ 江差線 我が故郷への 道標(みちしるべ)

  ○ 車窓から かもめ迎える 江差線

  ○ 江差線 吾(われ)迎え待つ 姥神祭     (函館市・男性)  

 江差から離れて70年以上が経ちました。おばの希望で北斗市で暮らしています。 ホームシックになった時、汽車で帰りました。その時、上ノ国からの海岸線がなつかしくて、窓からじっと眺めていました。 轉校してまもなくの時、それを作文に書いたら、先生がみんなの前で読んでくれました。拍手です。あの時の感激は未だに忘れられません。  (北斗市・女性) 

  生まれたばかりの娘を連れて家族で江差に転勤してきたのが3年前でした。娘も3歳になり、言葉も覚えてきた時に「電車に乗ってみたい。」と初めてのリクエストがあり、妻と3人で江差線に乗り込みました。今年の冬でしたが、車窓からの眺めがすばらしく、娘も妻もただただ感動! 「また乗りに来ようね。」と話していました。後日、車で「天の川」駅にも写真を撮りに行きましたよ。

 今年の春から転勤となり江差を離れてしまったため、なかなか乗れませんが、初めて娘が乗った電車、江差線には、またいつか訪れて、今度はレールの上でも歩いてみようと思っています。  (けーきさん/東京都・男性) 

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(左)あまのがわ駅モニュメント (右)天野川第一橋梁

  江差線に乗り、数十年通勤していました。当時、車両も一両で、数人しか居らず、列車も、秋は、紅葉落葉で、車輪空回りし、上り坂を登れなかったり、熊と衝突し、しばらく停止するなど、のどかな話題を覚えています。しかし、これらの出来事は、大自然の中を走行していた証し他なりません。廃線で日々寂しさがこみ上げてくると同時に、これ程、皆に愛された江差線が皆の記憶に残り、永久に語り継がれることを願っています。  (江差線永久にさん/函館市・女性) 

  江差町内で観光の仕事をしていますが、廃止が決まった後の2013年の夏頃から鉄道を利用した観光客が増えたのが実感しました。江差駅から市街地までの道路を歩いている観光客も多く見かけました。

 2014年5月12日鉄道が廃止になり、「江差駅」の看板も下ろされました。一時の賑わいも無くなり、元の静かな町に戻ってしまいました。 檜山は北海道の14(総合)振興局管内で、唯一鉄道の無い地域になってしまいましたが、2016年3月には北海道新幹線が開業します。檜山に駅は出来ませんが、今回江差線の廃線で訪れた方が、北海道新幹線に乗って再訪してくれることを願っています。  (うすまるさん/江差町・男性) 

 30年ほど前の想い出。初任地は知内町で、木古内駅近くに住んでいた。函館で同窓会があるため、木古内駅から函館行きに乗る・・はずだった。ところが駈け乗った列車は、対面のホームで待つほぼ同時刻発江差行き。すぐ気づき渡島鶴岡駅で下車、しょんぼり徒歩で木古内駅に戻るも、同窓会に間に合う列車は既にない。路線バスで「締めの万歳」に滑り込むのがやっとだった。最初で最後の江差線(木古内~江差間)は、片道一区間だけの小旅行だった。  (ほうこう音痴さん/黒松内町・男性)  

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(左)木古内駅内の案内掲示 (右)禅燈寺

 私が初めて道職員になって勤務したのが、上ノ国町湯ノ岱にあった道立湯ノ岱診療所だった。 当時、妻と新婚生活を送った場所でもあり、よく江差線を利用した。1両編成の江差行き普通列車は、旅行客や地元の学生で盛況だった。列車は豊かな自然に囲まれた中を、ゆっくりした足取りで進み、上ノ国駅を発車するとまもなく日本海が見え、観光客の多い江差に到着する。 あれから35年、江差線の各駅周辺地域の様子と魅力は今も忘れていない。  (紙谷さん/札幌市・男性) 
  今年の3月まで江差町に住んでいたカナブンです。休みの日には単身赴任の気ままさから、上ノ国の湯ノ岱温泉によく行っておりました。道中、運が良ければ、一両編成の列車がのどかに走っているのを見かけて、何か昔の原風景に出会ったような気がし、心が洗われるような気持ちになったのを記憶しております。江差線はなくなりますが、いつまでも何の飾りもない桧山らしい風景が残ることを期待しております。  (カナブンさん/札幌市・男性)  
 江差線には数回程度しか乗ることが出来ませんでしたが、1時間ちょっとの乗車で綺麗な日本海やのどかな農村風景、そして、神明~吉堀間の峠越えではエンジンがうなりをあげて走り、ちょっと心配になる感じではありましたが、42.1kmの区間の中で様々な風景を見せてくれました。車両も第1天野川橋梁、天野川駅、江差~上ノ国間など、暇があれば撮影しました。今後、江差を離れ、この地のことを忘れることがあっても、江差線のことを忘れることはないでしょう。様々な想い出を人々に残して走った78年間、大変お疲れ様でした!  (蝦夷バカ貝さん/江差町・男性)  

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(左)冬の神明駅 (右)湯ノ岱駅でのスタフ交換

 5月10日神奈川県在住の息子と一緒に“臨時列車さようなら江差線号”で日帰りしました。行きはバス、帰りは臨時列車なのでマニアのカメラマンの多さにビックリしました。 今は車の時代で、列車に乗る人も少なくなりましたが、私が江差高校生の頃は上ノ国等から汽車通学の生徒で一杯でした。江差線に乗る機会も少なかったと思いますが、昭和11年5月12日生まれの私には列車と共に山有り坂有りの人生を、江差線と共に生きてきたのですから、5月11日の廃止にはととても残念に感じました。  (函館市・女性)   

 

旅行での思い出・・・ (16件)

 

 若い頃何度か桂岡駅や湯ノ岱駅などで降りて、川釣りを楽しみました。特に桂岡近くの天の川本流や支流にはニジマスが釣れるのが良かった。 ビールを凍らせ、お昼に丁度良く冷えて自然の中で飲むのは格別でした。 帰りに湯ノ岱温泉に入って列車内で寝て帰るパターンが懐かしいです。 (パパトントンさん/函館市・男性)  

 旅行で毎年訪れている函館とは違い、江差に行ったのは一昨年が初めてで、函館山の裏側を対岸の岸壁のトンネルから見る景色がとても綺麗だったのを覚えています。電車の本数が少なかったのと、目的が江差の開陽丸見たさだったので、途中下車して写真を撮るといったことはしませんでしたが、念願だった開陽丸の復元を見ることができ、更に土方歳三が海洋丸沈没した際に殴りつけたといわれる一本松にも触りに行くことができ、歴女に片足を突っ込んでいる私には楽しい旅行となりました。

 江差に気軽に行けなくなるのはとても残念です。江差線が廃止になる前に江差旅行をしたいと思っています。 (桃々さん/室蘭市・女性)  

  江差線は、江差町から、青函トンネルを通って本州に旅行するために利用したことがあります。行きは、ほとんど待ち時間無しで急行列車に乗ることが出来ましたが、帰りは接続が悪く1時間以上待たされたのが思い出されます。線路は、道道と交差したり、急な崖の横や海岸沿いを走っていました。江差線は曲がりくねっていましたが、その後、通った津軽海峡線がほとんど直線だったのとは対照的でした。沿線は常に山の緑や海岸の青の中を走っていました。その後、散歩の途中、夕方6時過ぎに江差駅から列車が発車するのを陸橋の上から眺めたのも印象的でした。 (札幌市・男性)  

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(左)かもめ島を望む (右)上ノ国駅

  わたしが江差線で訪れた駅は、江差、上ノ国、中須田、宮越、湯ノ岱、神明、渡島鶴岡駅です。湯ノ岱駅では常備券などを購入しました。駅員さんとお話もできました。湯ノ岱駅を離れるときに、少しさびしくなりました。窓を開けて、ありがとうございました!と声をかけました。駅員さんの列車の見送りがかっこよかったです。江差駅では記念乗車券なども購入しました。中須田駅では夜に訪れましたが、夜の貨車駅も魅力的でした。ありがとう さよなら江差線 (撮り鉄君さん/愛知県・男性)  
  初めて江差線に小学生の一人旅で乗りました。あれから十数年が経ち、大人になり仕事で江差に行くことも数多くありました。今は目に焼きつけるように毎週時間があればカメラに収めに行ってます。 (ぽっぽ男さん/函館市・男性)  
 住んでいる所から遠かったため、初めて乗車したのは3年前に江差勤務の知人を訪ねた折でしたが、峠や海辺の車窓を見て、もっと早く乗っておけば良かったと後悔しました。以来、何度も乗りに行き、写真も撮りました。今春には全駅における乗降にも挑戦しました。最終日には見送りに行きたいと思いますが、江差線はきっと私の思い出の中を永遠に走り続けることでしょう。 (ねこさん/稚内市・男性)  

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吉堀駅から神明駅は峠越え区間

 追分を 鉄路に合わせ 唄い出す  (川柳)  (静岡県・男性) 

  ガイドのマイクに ふとめをさまし あれが正調 節かいな

 趣味で民謡をやっていた親父を東北旅行に連れて行ったところ、江差出身というバスガイドが自慢の喉を聞かせてくれました。若い女性でしたが、あのややこしい節回しを軽々とこなしてしまう実力に車内は拍手喝采。親父いわく「やっぱり本場は違う。江差、おそるべし」  (宮根台さん/愛知県・男性)  

  大学2年在学時に函館から乗車し、江差町に行きました。カモメ島をのんびりと見ながら町内をグルッと。。のどかで最高でした。旅館に夕方着いて夕食にイカをいやっと云うほど食し、あのコリコリした触感はまだ忘れていません。今はもうあの新鮮ないかを食べれる!?夢のまた夢か。江差線のローカル線がなくなる。。。寂しい!その一言。  (さつけんちゃんさん/札幌市・男性)  

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中須田駅付近

  江差線は函館から木古内までしか行ってないですが、廃止を前に中学生の頃に修学旅行で行って以来に江差まで行きました。お盆休みに行った時は、ちょうどお祭りがあったので、廃止前に行った甲斐がありました(^^)  (道産子@九州さん/福岡県・男性) 

  短歌 ~終焉の鉄路~

  さよならの五月近付く江差線いづこも寂し沿線の駅

  終焉の鉄路を惜しみ江差までカメラ担ぎし人と乗り合ふ

  吉堀を過ぎて電車は山間に音ひびかせて急坂のぼる

  七十八年鳴らしし汽笛甲高し電車は稲穂トンネルに入る

  道南の物流担ひし日を偲び電車に揺られて山林をゆく

  根方の雪まろく窪みて樹木らの春立つ山を電車は走る

  ひっそりと屋根に雪置く神明の駅の裏山芽のなき裸木

  湯ノ岱を過ぎて電車は音かろく雪水滾る川辺を下る

  行くほどに流れ豊けき天ノ川雪解け水が車窓に光る

  天の川滾る瀬音を掻き消して電車はいまし鉄橋渡る

  遠くして音の聞こえぬ磯波を電車に眺めて江差に向かふ

  降り立ちし江差の駅は一望の日本海の潮かぜにほふ    (北斗市・男性) 

  江差線の乗車は北海道全線踏破、天ノ川駅開設、!0年前の日本一周連続踏破以来、4度目の乗車です。当時から廃止のうわさがありましたが遂に廃止を迎え残念で仕方がありません。少子高齢化、モーターリゼーション等の社会現象、北海道特有の厳しい自然現象、北海道新幹線開業などと多くの要因があり、赤字という二文字にはどうしょうもない状況には手の打ちようがありません。

 鉄道マニアとしてできることは、せめて最終列車に乗り78年間ありがとうと声援を掛けることしかできません。最期の最期まで安全運行にお礼をしたく、江差線各駅を訪問し別れを惜しむつもりです。  (青春18さん/宮城県・男性)  

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臨時列車「えさし号」 平成25年4月28日運行

  今から20年ぐらい前に奥尻島にお盆の帰省の時に利用した時はデッキいっぱいのお客さんであふれていました。皮肉なもので廃線が決まりその当時の賑わいが戻ってきました。この賑わいが一過性で終わらぬように道民みんなで盛り上げてゆきましょう。最後にありがとう江差線と言いたいです。  (てるみん785さん/登別市・男性) 

  ずっと大阪に住んでいて、自分の中では北海道に行く事は海外旅行に行くぐらいの大きな事でした。北海道には色々な観光地がある中で3ヶ月以上前から念入りに交通機関などを調べて、江差の姥神大神宮渡御祭を見に行きました。広くきれいな海に面していて自然に溢れていて、お祭りの最中で街は熱気に包まれていて・・・江差にあるかもめ島のベンチで風に吹かれながら海を眺めているといつもの騒々しい日常が一瞬で洗われました。

 帰りの函館までの電車の中、電車好きの人達がカメラ片手に楽しそうに話している横で、窓の外の海や山を眺めながら「次に来る時にはこの電車はもうなくなっちゃうのか」ととても切ない気持ちになりました。あんな美しい街で暮らしてる人がほんとに羨ましいです。江差線はなくなっちゃったけど、また今年も江差のお祭りを見に行きます  (ヒナちゃまさん/大阪府・女性)  

   昨年の秋、江差線を利用して仙台まで行ってきました。江差駅を出て、日本海を眺めながらウトウト・・・。気がつくと視界から海は消え、上ノ国駅に到着。美しい田園風景の中を列車は通り過ぎ、山の奥へ。眼下を流れる天の川、窓から手を出せば届きそうな紅葉。めったに見ることができない素晴らしい光景なのに、絶妙な列車の揺れの中で、気持ちよくなってまたウトウト・・・。江差線には何度か乗りましたが、いつもこんな感じでした。 今度は、線路の上を歩きながら、ゆっくりと景色を眺めてみたいと思います。  (まささん/札幌市・男性) 

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江差駅

  四季それぞれに魅力の違う江差線江差線を利用する機会は無かったのですが、今回廃止になるということで乗車しました。最初は夏に窓全開で車窓を撮影、冬にはフリー切符で何往復も乗車、春は途中下車をして沿線を散策したり駅舎を撮影、そして最終運行日。残念ながら秋には訪れることができず全ての四季を体感することができませんでしたが、同じ景色も時期により見え方が違いました。何度乗っても飽き(秋)のこない旅を楽しめました。  (にわか鉄道ファンさん/小樽市・男性) 

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